「対話って、ゆうはしさんにとって何なんですか?」
そう聞かれることが度々あるのですが、今回はその問いに答えていきます。
目次
個性が芽吹き、花開く瞬間がすき
結局、ぼく自身が一人一人の秘めている素晴らしい個性や可能性が、自然に芽吹き、花開く瞬間を味わうことが好きで、その瞬間を味わいつくせるから対話をしてしまうのだと思います。
さらに、対話は本当にその人に寄りそい、支えることができる素晴らしさも備えていることも大切なこと。
やっぱり自分一人では花開くことに限界があるし、その限界と一人で向き合い続けることはしんどいから。
そこに寄りそっていきたい。
今までを振り返ってみても、考えるより先に、いつの間にか相手と対話をし始めているんです。
「この人が本当に心から望むことはなんだろう?」とか「この人が持つ可能性を輝かせるにはどうすればいいんだろう?」と自然に考えていました。
「本当にしたいことは?」と問い続けた日々
運営していた学生団体では、会社みたいに企画部・営業部・広報部・事務部に分かれていて、部門毎に何人くらいは欲しいという組織としての側面がありました。
だから、機械的に「君はこっちね。そして君はこっち。」と区分けをすることもできたけど、それはしたくなかった。
当時はうまく言葉にできなかったけど、「一人一人に自分自身の意志を大切にしてほしい」って気持ちがあったからだと思う。
だから、まずは好きな部門で体験してもらい、その人自身がフィット感を確かめ、対話をしながら決めていきました。
対話をしながら気づいたのは、同じ組織に属しているとはいえ、みんな異なる意志やバックグラウンドを持っていること。
そして、それぞれが自分なりの素晴らしい可能性を秘めているということ。
と、同時に、ほぼ全員が自身の素晴らしい個性や可能性に気づいていないということも知り、目の前の人が持つ個性や可能性を磨いていきたいと強く思っていました。
だから、部門のミーティングでも、プロジェクトを企画するときも、「本当にしたいことは何?」と前のめりに聞いていたと思います。
そういう問いかけを続けていると、自然と自分なりの表現をする人が増えて、自分の想像を超えて思わずわくわくする成果が目に見えるようになりました。
振り返ってみると、目の前にいる人の個性や可能性を信じ切っていたからこそ、できたのだと思います。
そして、そこには「自分らしく生きられるように」という願いもあったと思います。
自然体のまま自分らしく生きる
ぼくは対話を通して、目の前の一人と手触り感のある距離感で話すことがとても好きです。
跳びはねたくなるような喜び、濃い霧のようなもやもや、全てを受けいれ、味わい、言葉を返していく。
対話はこの繰り返しでしかなくて、あっけないと言えばそうなのかもしれません。
けれど、ただ目の前にいるたった一人の為に時間も思考もエネルギーも全て込めることができる。
対話に自分自身の全てを込めて、「あなたらしくていいんだよ。あなた自身を表現していいんだよ。」と、そう伝えられる喜びが確かにある。
その喜びの先に、確かに、たった一人の人がいる。
その人と一緒に悩み、泣き、笑い、花を咲かせることができたら、これ以上の喜びはないと思います。
自然体のまま自分らしく。
そう生き生きしている人が一人でも増えることを願って。